組織におけるVisibility

人を選ぶ、所謂「選民思想」は一般的には道徳上あるいは教育上好ましくないものと認識されている。差別を助長する。

一方で、成人した人間が所属する組織である事業会社、特に外資系企業において、選民思想、ひいては差別的な考え方は、組織の成長やガバナンスを維持するための思想的な基盤として浸透している。

特に外資系企業において、としたのは、日系の企業においては長らく「年功序列」「家族的経営」といった考え方が根付いており、それらはいまだに一部では健在であるからだ。しかしながら上場企業を中心に利益の追求を使命とし、そのために外部から経営者を招くことや一般の社員が転職することが珍しくなくなった現代では、それらはすでに少数派であり、多くの日系企業外資系企業と同じような風土に変わりつつある。

そのような風土を象徴する言葉のひとつが「組織におけるVisibility」である。Visibilityとは、日本語では視界とか知名度、目立つこと、と訳されるが、組織においては評価尺度のひとつと用いられる。日本語にはない、英語独特な言い回しではなかろうか。

なぜ目立つことが評価されるのか?以下の通り整理をする。

  • Visibilityが特に重視されるのは企業における間接/管理部門、つまり営業等、売上や利益の数字が評価に直結するわけではない、事務、システム部門などである。これらは本来、目立ちはしないが会社を支える縁の下の力持ちのような存在である。
  • 外資系企業においては、外部から招へいされる所謂プロ経営者が部門トップ、役員を勤めることが多い。間接/管理部門も例外ではなく、かつ役員の勤続年数は極めて短い。
  • 就任した間接/管理部門役員は高い報酬と組織における権力掌握で自己実現を図る。
  • 高い報酬と組織における権力掌握を確かなものとするために、役員は短期間で著しい成果を上げることを求められる。それがハイレベルのVisibility。
  • しかしながら間接/管理部門では、その成果が直接売上、利益に直結するわけではなく、成果を示して差別化を図るのが難しい。そのための主な手段が業務改善/改革といわれるものである。それらは「プロジェクト」という名で始まる。またプロジェクトには業界のトレンド、キーワードにリンクしたテーマが掲げられる。最近ではRPA、自動化、AIなど。
  • ただし、外様の役員は当然のことながら自部門の業務の実態を把握していない。また基本的には自ら汗をかかないためプロジェクトを軌道に乗せ先に進める実作業を自ら行うことはできない。そのため、子飼いもしくは同業のミドルマネジメントを外部から呼び寄せ(採用し)プロジェクト管理者としてその任に当たらせる。
  • プロジェクト管理者は、基本的にはスモール役員として実務にあたる。役員と同様組織内に人脈があるわけではないので、役員から指示された方向性の範囲内で、自らのバリューを示すべく、基本的には今まで組織内で実行されてきた業務のやり方や同レベルの管理者のマネジメント手法を否定することでその存在意義を示す。これがミドルレベルのVisibility。
  • 役員とスモール役員が大きな顔をして跋扈し始める組織は、古参の社員にとっては、当然のことなが不快なものである。そのため優秀な社員が次々と退職していく。
  • 残ったのは使えないおじさんとやる気がない脱力系社員という状態で不足したヘッドカウントを埋めるべく役員とスモール役員は転職サイトを利用して華々しい募集キャンペーンを打ち立てる。
  • その種の募集キャンペーンは基本的にはうさん臭さが伴うため、自然とうさん臭い意識が高い一般社員が集まる。
  • 意識が高い一般社員はプロジェクトの遂行のために採用されているが、本人は自らのステップアップにしか興味はなく、同僚には使えないおじさんと脱力系社員しかいないわけだから協業が進むはずもない。意識が高い一般社員は彼らとの差別化を図るべく、過去の実績を誇張し、ひたすら正論を主張するパワーポイントの資料を大量生産しスモール役員に対するプレゼンを重ねる。また意識が高い中途入社社員の中での差別化を図るために、役員との飲み会等による接触の多さを競う。これがローレベルのVisibility。
  • Visibilityによる人事評価の結果、目立つ役員、社員の昇進、昇給が行われるが、プロジェクトは計画フェーズから先に進まない。進んだとしても途中で行き詰ることが多い。加えて業務ノウハウ、人材や協力会社との信頼関係など今まで積み上げてきた資産を棄損して終わることもしばしばである。

Visibilityを重視する組織は、個人が疲弊する。それは結局は組織としても個人としても幸せではないし、正しくもない。