東京医大の男女比の問題について

東京医大の入試において、女子には男子よりも合格のために高い得点が必要であった、ということがニュースになった。

自らを振り返ってみて、30数年前の地方公立高校の入試においては、あからさまに合格に必要な偏差値が男子よりも女子が高かったことを思い出した。

進学校であったが、当時はそれが当たり前で、さして苦情が出るような感じでもなかった。おのずと合格者における男女比率も男子の方が多かった。近くに公立の女子高があり、逆に公立の男子校はないという状況も背景にあったのかもしれない。

現在、同校の偏差値をネットで確認したところ特に男女間で違いなし、また合格者の男女比も同程度とのことであった。ちなみに近くの女子高も共学になっているとのことであった。

これも時代の趨勢であり、公立高校等公共の組織団体においては、理由なく男女間で差をつけるということは、基本は無くなっている、ということなのであろう。

この問題でサンジャポにおける西川先生の発言が印象に残った。「外科医や整形外科など体力が必要な領域の医師を確保するため、男の医師が必要。」ということである。西川先生が女医であることから説得力のある意見であろう。

差別に反対する意見はもっともである。一方で将来のこの国を維持するために必要な人材を確保する、という問題について、例えば必要な医師や自衛官を確保するということ、またいかに出生率を上げるのかということに対して密接に関係する問題である場合に、必要な人材を確保する有効な施策を打ち出せていないにも関わらず、それに逆行する自由だけを認めてよいのかというジレンマがあるのだ。

杉田議員による「LGBTには生産性はない」は全くもって無神経で必要のない発言であったものの、本人の意図は将来を憂い、出生率を上げる必要がある、というものであったことを信じたい。

差別に反対し、自由を訴えることはもちろん重要だ。一方で、誰もがなりたいわけではないが国の維持のために必要な職業に従事する人材をどのように確保するのか、ということをきれいごと抜きに議論する必要がある時期が来ているのではないか。

世論を気にして不都合な真実を表に出さないという政治の手法を改める必要がある。