悲観と楽観

人間が生きていると、自分の認識が根底から覆される出来事がある。地震津波、洪水など自然災害に出くわした時。また、人間関係においても自分の想定を超えたひどい扱いを受けることががある。そのような経験は人の心を深く傷つけて、記憶の中に恐怖体験として刷り込まれる。経験をもとに防衛本能が機能し身を守ろうとする。

一方で、忘れること。それもまた人間が生きていくために必要な能力である。過去の辛かった出来事、悲惨な経験をいつまでも忘れられないでいたら、生きていくこと自体が苦行に過ぎるのであろう。

ビジネスにおいては、過去の失敗を忘れて再チャレンジを繰り返すことで収益の機会を常に探っていくことが必要だ。そのような第一線で活動する部隊とは別に、リスク管理部署が過去の失敗を教訓として蓄積し、ビジネス活動に危険はないかをチェックしている。つまり、相容れない二つの特性を、別の組織に割り当てることで両立しているわけだ。

では、一人の人間が、その二つの能力を両立することはできるのか?完全に両立できるのであればスーパーマンであろう。大抵の人はどちらかの特性をより強く持ちながらバランスを取りながら生きている。そこから、楽観、悲観という性格が生まれると言ってもよいだろう。

概ねこの世は楽観な人が生きやすいように出来ている。社会が成熟し、人間が生命を脅かされるようなリスクがそもそもかなり減っているわけで、いちいち気にしなくても何とかなるのである。

「悲観は気分、楽観は意志。」これは、悲観の特性を強く持った人が自分を奮い立たせ行動するために生み出した言葉なのだろう。悲観に引き込まれそうな自分を客観的に眺めて行動しても「何とかなる」ことを言いきかせているのだ。

意思により、自分をコントロールできる人はよい。理屈ではわかっていても、行動に移すことが出来ないと悩んでいる人も多いであろう、そうであれば行動に移すことが出来なくても「何とかなる」と考えることにする。「何とかなる」のレベルを一段下げるのだ。とにかく自分が生きやすいように解釈を変えること。それじゃダメ人間じゃないかって?大丈夫。ダメ人間ではないかと気になるような人は十分に真っ当であり、もっと「何とかなる」の恩恵を受けてよい人なのだ。