天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。

 

ルールの盲点を突いて不正に利益を得ようとしても、うまくいかない。結構世の中はそのようにうまく出来ている。

 

例えば、サッカーのルール。ゴールキーパーだけは手を使える。よって例えば、1点リードしたとしたら、あとはゴールキーパーがずっとボールを持っていれば、逃げ切ることができる。誰もがそんなことを考えるであろう。しかしながら実際そんなことをすると、すぐさま遅延行為としてイエローカードを食らってしまう。そのへんルールには謳わなくても、レフェリーの裁量でペナルティを与えることができる仕組みになっている。

また、ファールを受けたかのように装う「シミュレーション」。これも含めて選手の技量であると考えられていたが、VAR判定により、白日にもとに晒されるようになってしまった。

 

ビジネスの世界では「脱法行為」。ライブドア事件で、その多くを知ることになった。株式分割による株券の不足を利用した株価吊り上げの手法など、禁止する法律が無いからってそれやっていいの?という行為である。ただ耳目を集めた経営者達の多くは、司法やマスコミにより結果的には断罪されることとなった。

 

われわれの日常生活でいえば「良心の呵責」も該当するであろう。人の目を見て悪いことをしようと思えばできるが、自制する、というものだ。野菜の無人販売とか少額交通費の精算とか、基本的には各人の良心とか、バレたら困るなといった不安が不正な行為を抑止している。

 

一方で、その行為を正当化するための理念とかお題目を立てることにより、人は良心の呵責から逃れることができる。

自民党現政権、安倍さんも「森友における夫人の立ち位置」「加計における獣医学部設置計画を認識した時期」などについて、一点の曇りもないかといえば、そこまで能天気ではないであろう。しかしながら、「自分たちが最良の政権であり日本経済を支えている」「自分たちしか憲法を変えることができない」という自負を持ち、自らの存在意義を多いに感じている、つまり責任を感じているからこそ、鉄面皮で野党の追及を突っぱねることができるのあろう。

政治の世界での良い悪いは、最終的には、選挙で判断がされることになる。現状では、安倍さんが100%正しくはないが、野党よりはましと考えている人が多いであろう。

 

だからこそ野党には自民党現政権がもつ理念に正々堂々立ち向かい異議を唱えてほしい。それが国にとって必要なことであるし、長い目でみたら、野党が生き残る道であるだろう。