無作為抽出ビッグデータ

スマホにレシーカというアプリを入れている。レシートを撮影して家計簿をつけることができるものだが、1枚撮影して登録すると、1Tポイントをもらえる。(ただし1日3枚まで。)

さらに「ONE」というアプリが公開され、なんと1枚10円で買い取るというものなのだ。(ただし1日10枚まで。また、今はサービス停止しているらしい。)

レシートを1Tポイントとか10円で買い取るってどういうことなんだろうと思うが、消費傾向の分析に使える購買データ、またクーポンを配るために使用するターゲット顧客データとして、企業にとってバリューのあるデータに加工、販売されるようである。

レシートは実際ものを買った実績であるから、ある程度信頼のおけるデータといえる。

他にも今よくあるのが、アンケートサイト。これも簡単なアンケートに答えることで2ポイントなどもらえる。また会場でやっているアンケートに参加すればさらにたくさんのポイントがもらえるのだ。

会場まで行くのは気が進まないので、専ら2ポイントをもらえる簡単なアンケートのみ答えているわけだが、これが沢山くるのだ。1日10件など。しかも似たような質問が多い。よくあるのが、どのお酒(チューハイ)を知っているか、また飲んでいるかとか、どの路線の電車に乗っているかとか、こどもの通信教育はどれがよいかとか。

これが1問2問サクッと答えられるのであればよいのであるが、たまに2ポイントしかもらえないのに、延々と趣味嗜好を聞いた末に、たくさんの銘柄のチューハイやお菓子などについて、知っている、1か月以内に食べた、3か月以内に食べた、知らないのいずれかを全銘柄について選ぶ必要があったりする。こちらは、2ポイント目当てでやっているわけであるので、他にサクッとできるアンケートもある中で、これにぶち当たるとウンザリしてしまうのである。

よって、結果として全部同じ答えをしてしまうのである。そうすると、敵もさるもので、「全て同じ答えになっているので、必要であれば修正してください」とかメッセージが出てくる。だから1つだけ違う答えにしたりするのだ。おそらく最初と最後の銘柄は他とは違う傾向が出ているのではないか。

これだけたくさんのアンケートがくるのだから、国民の声はそれなりに需要があり、実際に企業が分析に使用しているのであろう。だがしかし、私のようにポイント目当てで適当に答えている人がほとんどであるから、そんなデータが本当に信用できるのであろうか?

最近日銀の統計データのうち、個人が持つ投信について30兆円過大計上されていたことがわかったとのこと。このデータが間違っていたとしたら、今まで貯蓄から投資へという政策を進めてきて、結構うまくいっていることになっていたのが、実はあまり進んでいないというかむしろ投資が減っているということになるそうだ。そうなると当局の今後の方向性なども考え直す必要がある。

さすがに、そのような重要な指標として、ネットのアンケートデータが使われているわけではあるまい。そうなるとアンケートの結果には必ずしも正しいものが必要とされているのではなくて、何かを決める際、ことを進めるためのの根拠として、ただ無作為に抽出されたデータとして「あればよい」ものなのかもしれない。データという根拠があることで、事が先に進むこともあるのであろう。

AIがもたらす未来 - 通訳

AIの進化の先に、いわゆる通訳ロボットの完成という目標がある。

完成した通訳ロボット、つまりホンヤクコンニャクが実現するか、という議論である。

日本人にとって英会話の習得は長年の課題であって、英語を話すことができるというのは、組織内におけるわかりやすいアピールポイントとなってきた。ニーズの幅広さからマンツーマン、オンラインといった形態での英会話スクールが乱立している。

英会話を勉強をしようとしている人にとって、通訳ロボットが完成するか、しないかということは非常に重要なトピックだ。通訳ロボットにより日本語と英語の違いを超えて会話が可能になるのであれば、英会話を習得する必要性は無くなるからだ。

ここ数年のテクノロジーの変遷を見ていると、通訳ロボットは完成する、というのが妥当な見立てであろう。ロボットにより通訳者を介するかのように、もしかしたら同時通訳のように異言語間で会話が成立するようになると考える。

もちろん、生身の人が口にする言葉の中では言い間違いやロボットには解釈が難しい表現なんていうものがある。しかしながら機械学習により、解釈できない表現は極めて少なくなるであろうし、それでもロボットがわからなかったら、ロボットは通訳においてその部分を丸ごと省略してしまえばよいのだ。日本人が、例えば日本人の講演を聞いたとして、忘れてしまったり聞き流している部分というの結構あるものだ。通訳ロボットが解釈できない部分をスキップしたとしても、会話全体として十分意味は通じるものと考える。

 会議や面談、公式なコミュニケーションは十分こなせるものになるだろう。そうなると、ただ英会話ができる、という人ができない人に対してのアドバンテージはほぼ無くなるであろう。

そうなると、これからは異国の気質や文化が違う人とより分かり合えるか、ということがポイントなんだろうか。いわば非公式なコミュニケーション。アメリカ人のノイジーかつヘイ!メン的なノリを無視しないでついていけるか?言葉の壁が下がるということは、異言語コミュニケーションでの期待水準は上昇し、そのストレスもまた多様なものになるということあろう。

日本の夏

しかし暑い。30度が涼しく感じることで人間の適応能力を改めて認める。

かつてない気象、災害により、テレビのニュース、天気予報においても危機意識を高めるため、より明確な言葉を使って視聴者を啓蒙しようとしていることがわかる。

「命を守る行動をとってください」「躊躇なくエアコンを使用してください」

これらのメッセージから、我々の意識と現実のギャップを読み取ることができる。

「命を守る行動をとってください」大雨といっても、家にいれば大丈夫だろう。むしろ家から出るほうが危険じゃないのか、という意識がある。実際大雨の際に家を出て避難するなんてのはかなりダルイのである。

しかし現実に川が氾濫し、家が水に浸かる。また山崩れが起こり、家が潰れてしまう。今までは現実感が伴わなかった「水害から自らの命を守る」ため自己責任で行動に移さなければならない。

今までも、そういうリスクはありますよと言われていたとしても、実際起きることはないであろうと思っていたことが、現実として起きてしまうようになったようだ。

「躊躇なくエアコンを使用してください」基本夜寝るときはエアコンを切るか、タイマーをセットしていた。朝までつけていたら喉が痛くなったりするのだ。

しかしそれで熱中症になってしまう。昔も日射病なんて言葉はあったが現実になった人を見たことがなかった。しかし今は、熱中症に気を付けて、というのは夏の間、最も頻繁に使われる挨拶になったようだ。

かつて香港や東南アジアの空港から一歩出た時に感じた亜熱帯の空気。日本の夏はすでにその仲間入りをしたようだ。それを当たり前のものとして捉え、いちいち気を滅入らないようにしたい。

また、いつか起こると言われてきたけど起きなかった河川氾濫のハザードマップ。これからは大雨が予測される段階で水害に備え、車を立体式の高い場所にあるパーキングに移動したり、また自分が避難したりしなければならない。

環境は変わる。もちろん変わらないものなんて無いが、自然環境については我々の意識を塗り替える時期に既に差し掛かってしまったようだ。

改めて、ネットでのやりとりについて

自民党杉田水脈議員のLGBTに対する差別的論調に対する反論がかしましい。

雑誌に載った「LGBTには生産性が無いのに支援の度が過ぎる」との主張に対してのリアクションである。概ね杉田議員のヘイト的な姿勢やあの論文を掲載した出版社に対しての批判となっている。

そんな中、乙武さんのTwitterが印象に残った。

 

乙武さん/7月24日

『『あなたはLGBTなので生産性がありません』『あなたは障害があるので生産性がありません』『あなたは高齢者なので生産性がありません』『あなたは能力が低いので生産性がありません』-国家にとってどれだけ有益かという観点から優劣がつけられる社会になれば、次に排除されるのは『私』かもしれない』

 

乙武さん/7月25日

『「私」とわざわざカギカッコをつけたのは、LGBTに限らず、次に国家から「生産性がない」と切り捨てられる可能性は誰にでもあるという意味なのに、文字通りの私=乙武だと受け取って、「乙武さんは生産性に溢れてるから大丈夫ですよw」とかどれだけ読解力が欠落しているのか。』

 

おそらく、7月24日のツイートに対して「乙武さんは生産性に溢れているから大丈夫ですよw」と障害があるけど子供がいるという意味での冷やかしのコメントがあったのであろう、それに対して乙武さんがかなりムカついたことが読み取れる。

これ要るか?

ブログやSNSにより、私も含め一般の人が広く公衆に意見を述べられるようになった。また著名人の意見に対して、一般人が(その著名人が認識するかどうかは別として)直接コメントできるようになった。

今回の一連のやり取りで、LGBTへの差別的な意見に対して、乙武さんが障害とリンクしてツイートした。ここまではいいだろう。

それに対して一般の人が、揶揄をする。それに対して乙武さんがわざわざ意図を説明する。かなりムカついていることが見て取れる。杉田議員ではなく、一般の人が読解力が無くアホだ、に切り替わっている。それがまたネットニュースになり拡散して、乙武さんをフォローしていない私までが知ることとなった。一般人による揶揄、これももしかしたら悪意や差別的な考え方がベースになっているかもしれない。また乙武さんの一般人に対する怒り。これらネガティブな気持ちにさせるやりとりは、ネット上至るところで見られるものだけど、改めて不要なものだと感じるのだ。

人が思うこと考えることは自由だ。たとえそれが悪意によるものでも。モラルとか法律により縛られるものではないし、普通は窺い知ることはできない。しかしながら、今は思ったり考えたりすることを気軽にネット上で表現できる。それは記録されネットニュースでさらに広く拡散されることもある。

テクノロジーの進歩に伴う、表現のデジタル化とその拡散を止めることはできないだろう。自分が傷つけられたり、不快な思いをしないように、あえて検索を止めたり、意識してネットから距離を置く時間を持つことが精神衛生上必要だ。

 

OLと同僚、上司

本日はAVの話です。

我々はリアルの世界に生きている。だからセルフプレイであっても、オカズはリアルである必要がある。

そんな時、目が行ってしまうのがOLと同僚、上司というジャンルである。まさにエロサラリーマンにとってのリアルであるのに、実はこの設定、あまりいいものが見つからないのだ。「OL」というタグはある。そこを見てみても、「SOD女子社員」なんてのはただのAV女優だ。「面接シリーズ」なんていうのもしょーもない。職場や会議室なんていうのはリアルな戦場ではない。

あ、失礼。設定ではなかった。あくまで、ある会社の本当のOLと同僚、上司の絡み。気まずさと背徳感と心強さとを見たいのだ。

そんな中でおススメを。。。

「ザ・マジックミラー 顔出し!働く美女限定シリーズ」安心のマジックミラー号だ。こちらにスーツを着たOKと同僚が乗り込み、インタビューが始まる。

「恋愛感情っていうのはないですね。というよりは仲間ということで仕事の相談には乗りますね。好きっていうよりは心配になるっていうか。」うーん、そうか。同僚なんてもんはビジネス上の付き合いですよね・・・早く帰社しないと。部長が心配してますよ、きっと。

ここでインタビューから「どこまでできるかゲーム」に展開していく。

手をつなぐで千円。ハグで千円。「長い長い」とか言ってる。頬にキスで千円。口にキスで一万円。「恥ずかしーね」オッパイ揉みで一万円。「彼氏彼女いるんでちょっと無理ですねー」「でもやりたくないですか?」「え?服の上からですよね?」「もちろん!直接じゃないからねー」インタビュアーの話術が冴える。チンコ揉みで一万円。「これでおあいこだね」訳のわからない理屈で進む。「ありがとうございました」全て終わったかと思わせて…札束とともに「エッチできたら十万円。中出しできたら三十万円。」のフリップボード。「金額もすごいけど内容もすごいね」「いや、ゴム付けないで発射すればいいだけだから、難しくないですよね」いやいや、おいインタビュアー!調子に乗るな!「いやいや、これいっちゃうと一線超えた感じで、まずいっすね」当たり前だろ。「でもさ、親とか祖先とかずっとやってきたことだからさ。長い目でみたらそんなに最近起こった出来事じゃないよ」なんだよそれ!「これはお二方で決めてもらって。やらなかったらお金返してもらうだけなんで」「コンドーム要るんだった呼んでください。コンドーム必要な資源なんで最初から渡すわけいかないんで」おいなんだ資源て!インタビュアー降車。「二人っきりだねー」「ちょっと水飲んでいい」「いやムリでしょ」「私はないな」そりゃそーだろ。三万三千円だけもらって、とっとと帰社しなさい。「どうしよ、いやそういう意味じゃなくて相談…」粘る同僚。「中出しはさすがにね、無理だよね」「エッチは…どう?」「さっきチューとかやっちゃったもんね」おいおいOL話に乗るんじゃないよ。「いい?」「いい...よ...こっちだけだよ絶対(十万円を指さす)」「もちろんもちろん、中出し...しない」まじかーい!?エッチはいいのか!展開早。「とりあえず...脱ぐ?」いやーやっぱりOLってお金に困ってるんですかね。まあ確かに十万っていったら高級ソープより高いですからね。お金の誘惑って強力ですよね。というかOLってやっぱり性欲強いですよね。

絡みが始まったら、もちろん止まることを知らず、中出しフィニッシュ!「え?中...出しちゃったの?えー」「とりあえず着替えよか」「(パンツとってもらって)ありがと」OL気持ちの切り替え早!「見られている感がすごくてコーフンした」やっぱりOLエロいな!「会社戻ったとき、いつもよりぎこちなくなりそー」いやーそのシチュエーションもコーフン!「明日も社外?」「うん四件」「忙しいねー」まさに営業のリアル!ここでインタビュアーを呼び再び乗車。「今どこまで...なさったんですか?」「えーと、中出しできたら三十万円の方...」しばし沈黙。「なんでやることになったんですか?中出し...」「流れで、ノリで」「コーフンしちゃって」「今後お二方どうなっていくんですか?」「いつも通りに...バレないように」

まじかーい!恐ろしくキヨキヨしいではないか!やっぱりOLエロいな...澄ました顔したOLみんなこんなんだろーなー、金と勢いがあれば。いやいつも会社で一緒にいたら、中出しOKかな、なんて、簡単に思っちゃうんだろうなー。これこそリアル!

では、おやすみなさい。

天網恢恢疎にして漏らさず

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。

 

ルールの盲点を突いて不正に利益を得ようとしても、うまくいかない。結構世の中はそのようにうまく出来ている。

 

例えば、サッカーのルール。ゴールキーパーだけは手を使える。よって例えば、1点リードしたとしたら、あとはゴールキーパーがずっとボールを持っていれば、逃げ切ることができる。誰もがそんなことを考えるであろう。しかしながら実際そんなことをすると、すぐさま遅延行為としてイエローカードを食らってしまう。そのへんルールには謳わなくても、レフェリーの裁量でペナルティを与えることができる仕組みになっている。

また、ファールを受けたかのように装う「シミュレーション」。これも含めて選手の技量であると考えられていたが、VAR判定により、白日にもとに晒されるようになってしまった。

 

ビジネスの世界では「脱法行為」。ライブドア事件で、その多くを知ることになった。株式分割による株券の不足を利用した株価吊り上げの手法など、禁止する法律が無いからってそれやっていいの?という行為である。ただ耳目を集めた経営者達の多くは、司法やマスコミにより結果的には断罪されることとなった。

 

われわれの日常生活でいえば「良心の呵責」も該当するであろう。人の目を見て悪いことをしようと思えばできるが、自制する、というものだ。野菜の無人販売とか少額交通費の精算とか、基本的には各人の良心とか、バレたら困るなといった不安が不正な行為を抑止している。

 

一方で、その行為を正当化するための理念とかお題目を立てることにより、人は良心の呵責から逃れることができる。

自民党現政権、安倍さんも「森友における夫人の立ち位置」「加計における獣医学部設置計画を認識した時期」などについて、一点の曇りもないかといえば、そこまで能天気ではないであろう。しかしながら、「自分たちが最良の政権であり日本経済を支えている」「自分たちしか憲法を変えることができない」という自負を持ち、自らの存在意義を多いに感じている、つまり責任を感じているからこそ、鉄面皮で野党の追及を突っぱねることができるのあろう。

政治の世界での良い悪いは、最終的には、選挙で判断がされることになる。現状では、安倍さんが100%正しくはないが、野党よりはましと考えている人が多いであろう。

 

だからこそ野党には自民党現政権がもつ理念に正々堂々立ち向かい異議を唱えてほしい。それが国にとって必要なことであるし、長い目でみたら、野党が生き残る道であるだろう。

メッセージ2

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 これは、とある神社の入口に貼付されていたものである。

「境内は神聖な場所です。」神がおわせられる聖なる地。神社であるわけだから誰も否定できない。

しかしながら、その後に続くメッセージが釣り合わない。神聖な場所であることを理由にするのであれば、通常の場所よりも制約を強化するか、もしくは制約をより徹底させる、そのどちらかがないと、ここが神聖な場所であることを宣言する必要はない。

「制約を強化しているか?」犬に綱をつける。フンの始末をする。どちらも他の場所でも課せられる制約であり強化されているとは言えない。制約を強化する意図があったのであれば、神社だけにただの綱でなく鈴緒をつけて下さいとか、逆に綱をつけずにハンドパワーで犬を制御してください、などにする必要があるであろう。またフンの始末についても、フンの始末が出来ない方は全力で呪いますとか、スカトロプレイが出来ない方はお断りしますなどハードルを上げる必要があるであろう。

「制約をより徹底しているか?」これは他の場所では適当にやったり、またやらなくてもいいけども、ここでは絶対やってということだ。確かに一般の道路などでは犬が放し飼いされていたりフンが放置されていたりする。では、ここは神社だから、そういうことは他所でやってくださいということなのだろうか?仮にそうだとしたら他所だったらいいけどうちの神社だけではやめろ、ということなのか?そんな身勝手な神社に神はおわせられるのであろうか?神社としては他所でもやってはダメですよ、というだろう。だとしたら、より徹底しているとはいえない。

結論としては、どちらにも該当しない。であるならば「境内は神聖な場所です。」は不要な宣言である。どんな場所であっても当たり前のことだから。

付け加えるのであれば、「犬を連れてる」ではなく「犬を連れている」であろう。